NOTO FIELD NOTE illustrated by a.yamazaki 無断転載を禁じます。
日本人はどんな器を使ってきたのか。戦国時代に陶磁器が入る前は木の器でした。その姿をとどめているのが「合鹿椀」。昭和初期まで能登で使われていた、日本人の器の祖型です。
(以下、スケッチの書き起こしです)
合鹿椀とは木地師の器
「合鹿で発生し、自らのために自らの手によって作り出した漆の椀」(荒川浩和氏)
「中世初期以来の伝統技法・分業化する以前の古い形態」(四栁嘉章氏)
・原初の生命力を宿した造形
・素朴で包み込むような温かさ
・最古の記録1694年~昭和初めに消滅。
・能登町の登録商標
特色・経過
日常必要最低限
実用に耐える堅牢さ
手近な材
シンプルな工法
基本は飯椀・汁椀2コセットの入れ子式
①草創期(17世紀) ②前期 ③過渡期 ④⑤⑥発展期(明治) ⑦復古期 ⑧末期(1930年)➡消滅
第1期 草創期 原初形
炭粉渋下地=中世初期以来の伝統的技法
・はつり痕が残る、カンナ目がみえる、布着せ(補強)、大振り、ゆがんでいる
・高い高台 欠けているのは土間、ムシロ、野外で使用したからかも。
木地師が木地から塗まで一貫生産(分業化する以前の古い形態)
・ケヤキを横木取りし、手斧(ちょんの)ではつって成形する。
・ろくろにセットしてカンナで挽いて成形。
・ろくろは福正寺に現存。交互にひもを引くと軸が右回り左回りと往復回転する。二人一組の共同作業。
・カンナの形はいろいろ。
「合鹿椀の感性に訴える品格、それは夫婦の気遣い、献身的な生活そのものの所作ゆえであろう」(大西勲氏)
第5期 発展期
半透明うるしを使用している。
なめらかに ろくろ技術の上達による。
第6期 極盛期
最大径は直径15㎝
ろくろ挽き主体に
品質が向上し大型化・多様化した。産地となり遺例も多い。
輪島の角偉三郎氏は合鹿椀を範とし「生活で使われる漆椀」をつくった。
復元
①柿渋を塗る
②布着せ(欠け割れ防止)
③炭粉渋下地を塗る
④研ぐ
⑤漆を塗る
「刷毛が残っていたり漆の縮みがあったりしても使えれば許される。そういうゆったりとした社会から必然的に生まれてきた魅力がある。」(大宮静時氏)
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